2009/04/22

* 花の安曇野めぐり-17- 幽玄・・ 山桜・・・ 隠遁 (三)。

   
  




    山桜が美しいのは・・・



    まわりの山々が織りなす

    早春の淡い木々の芽吹きと

    松や桧、杉など・・・

    針葉樹の緑とのくっきりとしたコントラストに彩られるとき・・・



    そして・・・

    そこに・・・

    音がないとき・・・



    その静けさが美しさを更に際立たせるよう・・・





    まるで・・・     

    羽衣につつまれた天女がそこに舞い降りたみたい・・・



    あまり見つめていたら・・・

    まぼろしのようにすーと消えていってしまいそう・・・



 



    -------------------------------  



    「オレがお客を案内して行った時のことサ・・・」


    ボッカのモリさんは・・・
    山案内人のモリさんでもあったんですね。


    なんといっても・・・
    北アルプスのことなら自分の庭のようによく知っているのですから・・・


    都会から来た登山者に頼まれて山を案内するのもモリさんの仕事だったそうです。

    


 

    「オレがお客を案内して上高地の旅館に行った時のことサ。」
    「当時はな・・ 山小屋がまだ旅館になったばかりのころでサ。


    「今じゃホテルなんてってるがな・・・」
    「あの頃はな・・ 土曜日ったって15~6人しかお客なんかいなかったもんだよ。」


    「当時は予約なんてもんもなくてサ・・・」
    「
夕方○○○旅館にお客を案内して行っただよ。」 (ちょっとその名前は書けませんが・・・)


    「こんちはーーー ってなもんでサ・・・」



    「ちょっ ちょっと お待ちください・・ 支配人を呼んで来ます・・・ ってサ・・・」



    「オレたちゃ 訳がわからねえでな・・ どうしたことかと思ってたらサ・・・」
    「そしたら支配人が来てな・・・」



    「地下足袋・脚絆
(きゃはん)の方のお泊りはご遠慮いただいております・・ とサ。」



    「スッタモンダしたが・・ ラチが明かねぇもんでサ・・・」
    「いい加減オレも頭にきてな・・・」




    「山に来るに、地下足袋・脚絆のどこがいけねぇだい。」

    「そういうことならお宅にゃ頼まねぇ。」

    「帝国ホテルの木村さんに頼むで・・ ジャマして悪かったいね・・ って言ってやっただよ。」

    「そうしたらな・・ その支配人・・ 青くなってな。」

    「申し訳ございませんでした。 是非、うちにお泊りください。 是非 是非・・ ってサ。」




    「どんなに頼まれたって・・ もうダメさ。」
    「そのお客は帝国ホテルに泊めてもらったよ。」
    「オレは小屋に寝させてもらったがな・・ ハッハッハッハ・・・ 」






    -------------------------------


    「へぇ~ 木村さんてすごい人ね。 どんな人なの?」



    「東京から来てた人だったがな・・・ 」
    「
帝国ホテルの支配人でな・・ 上高地をまとめてる人だったな。」
    「オレたちの面倒もよく見てくれてな・・・」


    「困ったことがあったらいつでも相談に来るようにって言ってくれてただよ。」
    「オレたちにも良くしてくれた人でな。」


    「山に行ってた衆はみんな世話になった人だよ。」



    「ああいう人は・・ 滅多にゃいねえな・・   もう・・ とっくに亡くなったがな。」






    -------------------------------


    ボッカって漢字ではどう書くのかと思って調べてみました。



    「歩荷
」・・・ 

    力強い響きなのにどこか哀しみが滲んでいるような言葉でした。
    モリさんからはそんな感じは微塵も感じられなかったのですが・・・ 


    戦後まもない時代です。


    必要不可欠な
・・・
    なくてはならない
仕事だったにもかかわらず・・・
    差別的な目で見ていた人がいたのも事実だったんでしょうね。 

                                           


    -------------------------------


     歩荷とは・・・

     人が自ら荷物を背に負って運ぶ運搬業者のこと。
     物資を輸送する方法としてはもっとも原始的なもので、
     すでに古代社会からその存在が確認されている。

     歩荷が最後まで残ったのは牛馬が通えぬ山間地域で、
     とくに中部山岳地帯では昭和になってからもみられた。

     背負う重量は男が16貫(60キログラム)、女が12貫(45キログラム)くらいである。
     歩行速度はきわめて遅く、
     積雪期などは
1日3里(約12キロメートル)しか行けなかったという。             
                                                                 

                                           - Yahoo百科事典より -







    「山小屋だって今じゃホテル並みだでな。 あんな必要ねぇだよ・・・ 」


    「山小屋は避難小屋じゃなきゃいけねぇ・・ 予約して泊まるなんて山小屋じゃねえサ・・・ 」

   





    子供のころから知っているモリさん・・・

    モリさんの怒った顔なんて一度も見たことがありません^^

    



    明日も・・ モリさん^^

                                               つづく 






                                              ページトップへ







 

0 件のコメント:

コメントを投稿