2009/04/09
* 花の安曇野めぐり -4- 伝説の里 陸郷 登波離橋。
昔の登波離橋 (年代不明)
写真・・信州 池田町 HP・・より
「陸郷 登波離橋伝説」 信濃池田史話 (仁科宗一郎 著 より)
時は鎌倉時代の中頃のことです。
信州安曇の里の中程、
現在の池田町陸郷の登波離橋を舞台にして起きた事件です。
白駒城主、樋口行時が、
正応四年弥生の中の日と申しますから、
今で言いますと四月半ばに催された、
花見の宴に端を発したと伝えられている伝説があります。
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行時の妾妻、清女は、
奥方藤女を日頃から亡きものにせんと思っていた、折からの此の宴を幸いとばかりに、
酒に酔ったふりをして、帰りすがら、奥方を橋から谷へ突き落としてやろうと考えたのです。
その気配を感じとった奥方は、どうせ何時か殺されるなら、一緒に死んでやろうと心に決めて、
そしらぬ顔で寄り添って、清女と自分のタモトを、そっと、十針縫い合わせておいたのです。
それとは知らぬ清女は、花見の宴も終わり、いよいよ計画を、実行する時が来たとばかりに、
橋の中程に差し掛かった時、いきなり藤女を突き落とした、ところが、
自分も一緒に、叫び声を残して、哀れ二人は谷底へと消えたのです。 (中略)
行時はその後、一体二頭の蛇に変わった二人の夢枕に、自分の不明を悟り、
善光寺に入山、出家して修行の後、再び帰り、
長者ケ池の畔に、登波離山相導寺と言う小さな堂を建てて、
二人の供養をして、七十五歳で没したとのことであります。
(ここまで 原文のまま)
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登波離橋は・・・ 十針橋からきていたんですね。
その後・・・ ここには・・・ 1本の根に2本の幹を持つ松が生えるようになったとの言い伝えもあります。
子供のころ、このお話を聞いた時は、
頭がふたつの大きな蛇が、本当にこの橋の下にいるような気がして、とても怖かったものです。
今はもう橋も架け替えられていて、こんなおどろおどろしい様子はありませんが
それでも、川でもない深い谷に架かっている橋は、やっぱりどこか不思議な雰囲気を残しているような気配が・・・
「陸郷 桜仙峡」 は、この登波離橋を渡って行くのですが
そんなお話を想像しながら通ってみると、このちいさな集落が別の世界のように思えてきます。
地方に伝わるちいさな伝説って本当にいいですね。
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