槍ヶ岳開山の祖、播隆上人。
播隆上人 (ばんりゅうしょうにん) の 像があるのは、
長野県、松本市の JR松本駅前の広場。
この厳しいお顔を見るたびに、私の心はピリッと引き締まります。
日本のマッターホルンとも呼ばれる、北アルプスの槍ヶ岳 (標高3180M)
この霊峰に心奪われ、
槍ヶ岳の開山に生涯を懸けたのが、江戸時代後半の浄土宗の僧 播隆上人 です。
憧れの槍ヶ岳、、、 一生に一度でいいからあの鋭鋒に立ってみたい、、、
私みたいな登山経験の浅い者が、
槍ヶ岳の、あの鋭い穂先に立つことができたのは、この播隆上人のお陰だったのです。
播隆上人の槍ヶ岳開山、、、
それは、あの英国の登山家ウェストンが、
世界に向けて日本アルプスを紹介するより、65年も前のことだったといいます。
その播隆上人の波乱の生涯を描いたのが、新田次郎さん の 「槍ヶ岳開山」、
そして、、、 それよりはるか以前に書かれた、穂刈三寿雄さん の 「播隆」 です。
以下はこちらのHPより引用させていただきました。
http://www.mcci.or.jp/www/yarigatake/ban.htm
長野県、松本市の JR松本駅前の広場。
この厳しいお顔を見るたびに、私の心はピリッと引き締まります。
日本のマッターホルンとも呼ばれる、北アルプスの槍ヶ岳 (標高3180M)
この霊峰に心奪われ、
槍ヶ岳の開山に生涯を懸けたのが、江戸時代後半の浄土宗の僧 播隆上人 です。
憧れの槍ヶ岳、、、 一生に一度でいいからあの鋭鋒に立ってみたい、、、
私みたいな登山経験の浅い者が、
槍ヶ岳の、あの鋭い穂先に立つことができたのは、この播隆上人のお陰だったのです。
播隆上人の槍ヶ岳開山、、、
それは、あの英国の登山家ウェストンが、
世界に向けて日本アルプスを紹介するより、65年も前のことだったといいます。
その播隆上人の波乱の生涯を描いたのが、新田次郎さん の 「槍ヶ岳開山」、
そして、、、 それよりはるか以前に書かれた、穂刈三寿雄さん の 「播隆」 です。
以下はこちらのHPより引用させていただきました。
http://www.mcci.or.jp/www/yarigatake/ban.htm
天明6年、越中に生まれた播隆は、生涯のほとんどを一介の苦行僧として過ごした。
混濁の世俗を捨て仏門に入 ったはずの彼だが見たものは、
やはり俗界同様のみにくい風潮がみなぎる宗門の内情であった。
深山幽谷での修行に入った播隆は、やがて槍ヶ岳開山の悲願を抱 くに至る。
天を突き刺すような鋭峰の頂きに、清浄静寂な極楽浄土への道を発見したからにほかならなかった。
混濁の世俗を捨て仏門に入 ったはずの彼だが見たものは、
やはり俗界同様のみにくい風潮がみなぎる宗門の内情であった。
深山幽谷での修行に入った播隆は、やがて槍ヶ岳開山の悲願を抱 くに至る。
天を突き刺すような鋭峰の頂きに、清浄静寂な極楽浄土への道を発見したからにほかならなかった。
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播隆が頂上に祠を建立し、後に来る者のために危険な個所に鎖さえ準備した物語は、
「大いなる初期アルピニスト」の尊称を授けられてよいのだが、彼の功績を知 る人は余りにも少ない。
いま、JR松本駅前から鋭峰を見つめる上人の孤高のブロンズ像は、
「人はなぜ山に登るのか」という永遠の問いに無言で答えているかのようである。
「大いなる初期アルピニスト」の尊称を授けられてよいのだが、彼の功績を知 る人は余りにも少ない。
いま、JR松本駅前から鋭峰を見つめる上人の孤高のブロンズ像は、
「人はなぜ山に登るのか」という永遠の問いに無言で答えているかのようである。
これは、以前、もうひとつのブログに書いた日記です。
穂刈三寿雄さんは
現在の槍ヶ岳山荘の前身、槍ヶ岳肩の小屋を開設された方です。
はじめて槍ヶ岳に登られたのは大正3年7月のことだと言います。
槍ヶ岳に魅せられ、播隆上人を崇拝し、
遂には、山小屋まで作ってしまったという方です。
この方もまた、黎明期の北アルプスを語る上で、欠かせない存在の方です。
穂刈三寿雄さんは
現在の槍ヶ岳山荘の前身、槍ヶ岳肩の小屋を開設された方です。
はじめて槍ヶ岳に登られたのは大正3年7月のことだと言います。
槍ヶ岳に魅せられ、播隆上人を崇拝し、
遂には、山小屋まで作ってしまったという方です。
この方もまた、黎明期の北アルプスを語る上で、欠かせない存在の方です。
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♪ 山 の 深 さ に
作詞 國井ただし 作曲 早乙女 碧
山にあこがれ 山に行く
山の男の心は軽い 命かけても若者は
* はかり知れない山々の
山の深さに 山の深さに
祈りささげる山男
空に切り立つ冬山に
山の男は心を燃やす 茜空よりなお燃えて
* はかり知れない山々の
山の深さに 山の深さに
祈りささげる山男
灯火(あかり)やさしい山小屋に
好きなあの娘の夢見る窓辺 尽きぬ想いを秘めしまま
* はかり知れない山々の
山の深さに 山の深さに
祈りささげる山男
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山に憧れ、、、 山に登る、、、
そんな時には、本当に、
祈りを捧げる気持ちを忘れたくないと、常に思ってはいるのですが、、、
私も含めて、
山に登る人には、独特のエゴのようなものもあるような気がしています。
山に登る、、、
その行為そのものが、神聖な山を穢しているのではないだろうか?
こんなに安易に登れること、
そのこと自体が、祈りを忘れさせてしまっているのではないだろうか?
青柳常夫さんの山の歌を聴くようになって、
山のこと、山に登る人のことなども、感じることがいろいろあります。
このことについては、いずれまた、
自戒の念を込めて、想いを綴ってみたいと思います。
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YouTubeに、青柳さんの歌を7曲アップしています。
返信削除どうぞご覧ください。