2009/06/08

♪~ 神聖な山に祈りを捧げる・・・ 【山の深さに 】

  
  
  



    槍ヶ岳開山の祖、播隆上人。

 
             
    播隆上人 (ばんりゅうしょうにん) の 像があるのは、
    長野県、松本市の JR松本駅前の広場。
              
    この厳しいお顔を見るたびに私の心はピリッと引き締まります。

              
    日本のマッターホルンとも呼ばれる北アルプスの槍ヶ岳 (標高3180M)


    この霊峰に心奪われ、 
    槍ヶ岳の開山に生涯を懸けたのが江戸時代後半の浄土宗の僧 播隆上人 です。       




              
    憧れの槍ヶ岳、、、 一生に一度でいいからあの鋭鋒に立ってみたい、、、


    
私みたいな登山経験の浅い者が、
    
槍ヶ岳の、あの鋭い穂先に立つことができたのは、この播隆上人のお陰だったのです。

             
    播隆上人の槍ヶ岳開山、、、
    それは、あの英国の登山家ウェストンが、
    世界に向けて日本アルプスを紹介するより、65年も前のことだったといいます。

                             
    その播隆上人の波乱の生涯を描いたのが、新田次郎さん の 「槍ヶ岳開山」、 


    そして、、、 それよりはるか以前に書かれた、穂刈三寿雄さん の
「播隆」 です。




    以下はこちらのHPより引用させていただきました。

     http://www.mcci.or.jp/www/yarigatake/ban.htm
 

             
    天明6年、越中に生まれた播隆は、生涯のほとんどを一介の苦行僧として過ごした。
    混濁の世俗を捨て仏門に入 ったはずの彼だが見たものは、
    やはり俗界同様のみにくい風潮がみなぎる宗門の内情であった。
    深山幽谷での修行に入った播隆は、やがて槍ヶ岳開山の悲願を抱 くに至る。
    天を突き刺すような鋭峰の頂きに、清浄静寂な極楽浄土への道を発見したからにほかならなかった。

    ・・・・・

    播隆が頂上に祠を建立し、後に来る者のために危険な個所に鎖さえ準備した物語は、
    「大いなる初期アルピニスト」の尊称を授けられてよいのだが、彼の功績を知 る人は余りにも少ない。
    いま、JR松本駅前から鋭峰を見つめる上人の孤高のブロンズ像は、
    「人はなぜ山に登るのか」という永遠の問いに無言で答えているかのようである。




              




              これは、以前、もうひとつのブログに書いた日記です。



              穂刈三寿雄さんは
              現在の槍ヶ岳山荘の前身、槍ヶ岳肩の小屋を開設された方です。


              はじめて槍ヶ岳に登られたのは大正3年7月のことだと言います。


              槍ヶ岳に魅せられ、播隆上人を崇拝し、
              遂には、山小屋まで作ってしまったという方です。


              この方もまた、黎明期の北アルプスを語る上で、欠かせない存在の方です。
 


 


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       ♪ 山 の 深 さ に 

            作詞 國井ただし  作曲 早乙女 碧


        
山にあこがれ 山に行く
        山の男の心は軽い 命かけても若者は

          * はかり知れない山々の
           山の深さに 山の深さに
           祈りささげる山男



        空に切り立つ冬山に
        山の男は心を燃やす 茜空よりなお燃えて


           * はかり知れない山々の
           山の深さに 山の深さに
           祈りささげる山男



        灯火
(あかり)やさしい山小屋に
        好きなあの娘の夢見る窓辺 尽きぬ想いを秘めしまま


           * はかり知れない山々の
           山の深さに 山の深さに
           祈りささげる山男





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        山に憧れ、、、 山に登る、、、


        そんな時には、本当に、
        祈りを捧げる気持ちを忘れたくないと、常に思ってはいるのですが、、、


        私も含めて、
        山に登る人には、独特のエゴのようなものもあるような気がしています。




        山に登る、、、
        その行為そのものが、神聖な山を穢しているのではないだろうか?


        こんなに安易に登れること、
        そのこと自体が、祈りを忘れさせてしまっているのではないだろうか?


        青柳常夫さんの山の歌を聴くようになって、
        山のこと、山に登る人のことなども、感じることがいろいろあります。


        このことについては、いずれまた、
        自戒の念を込めて、想いを綴ってみたいと思います。








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1 件のコメント:

  1. YouTubeに、青柳さんの歌を7曲アップしています。
    どうぞご覧ください。

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