2009/07/30

* ・・・鹿島のおばば。 -3- 民宿の歴史・・・

  
  
    在りし日の・・ 狩野きく能さん・・  著書より。



    狩野きく能さんのお話の本編に入る前に、、、

    今日は、「民宿」 について調べてみたことをお話いたしますね。




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    民宿・・・ 今では全国どこにでもある宿泊施設。


    その民宿の発祥の地が、
    白馬村の細野地域だったことはあまり知られていないみたいですね。


    細野は、現在の八方スキー場、、 
    1998年、冬季オリンピックが開催されたあのスキー場です。


    民宿の歴史は、登山・スキーの歴史と切り離せないものだったんですね。


    以前、聞いた記憶があって、
    今回、きく能さんのことを書くにあたって改めて調べてみました。 






    ----------------------  以下はこちらのHPより引用させていただきました。


    白馬に来る登山者は白馬に着くと麓の旅館に泊まるか、
    ガイドをしてくれる案内人の家へ1 泊しました。

    そのほとんどは案内人の家へ泊まり、
    翌日からの行程の打合せをしながら案内人の家で山での食料を仕入れて
    翌日朝に案内人とともに山を目指すの が一般的でした。

    案内人は白馬岳周辺を知り尽くした細野の民が圧倒的に多く、
    多くの登山者が細野に泊まり山を目指しました。

    そして昭和12年(1937 年)に、細野の山案内人をしていた家16戸が
    警察から許可を受けて民宿として営業を始めたのが日本の民宿の発祥となったのです。

    太平洋戦争が激化してから登山客は途絶えたものの、
    戦後の昭和23年(1948年)ころからは保健所の許可を取って本格的に看板を掲げ、
    戦後の登山・スキーブームを経て今日の発展を遂げてきたのです。


    ----------------------  ここまで---


    
    鹿島川のせせらぎと小鳥のさえずりが朝早くからひびく、大自然に抱擁された鹿島集落。


    勝山きく能さんがそこに産声をあげたのは明治23年12月1日。
    縁あって同じ村の狩野治喜衛さんと結ばれたのは、きく能さん19歳の時でした。


    農業が主体の村、、 
    農業とはいっても、農地は狭く山峡に開けた交通不便な辺境の暮らし。


    場所がら山仕事にも取り組まなければならない厳しい土地、、


    そんな中にあってきく能さんの甲斐甲斐しい働きぶりは、
    人々の目を驚かせるものだったと言います。
    



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    「おらはなあ、あんな高い山へは登ったこたあねえけんど、
     下から見上げて山の様子は手にとるようにわかるだよ。」


    「それに山から下った人の話で雪の深さも想像がつくだ。 
     重い荷物を背負ってのう。 大変なことだ。 好きでなけりゃできねえ道楽だ。」


    「だがなあ、命あって明日もあるだよ。 無理するでねえぞい。 
     天気を見ながらあぶねえと思ったらすぐにも引き返えすだよ。 いいかー。」


    
    かんでふくめるように諭すきく能さんの声の中には、肉親のひびきがあった。


                                         -つづく-







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