2009/06/26

* ・・・上高地が大好き。。。 -2- パンドラの箱。。。

  
  
    明神池のイワカガミ。




    それでもそれでも、、、 それでも、、、 上高地が好き。。。





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    人は、上高地が俗化した、、、 と 言います。

    私もそう思います。

    だから もう イヤと、、、

    そう言いながらも、、、 その矛盾を抱えてなお、、、 そこに行く、、、  私もそうです。




    歩きやすい遊歩道が造られ・・ 草花は荒らされ・・ モラルの欠片もない。
 

    昔の上高地を知っている人にはそれが許せない・・・
    それは、私でもよく分かる気がします。



    まだ穢されていなかった頃の上高地は、どんなに美しかったことでしょう。




    戻せるものなら戻してあげたい、、、  戻れるものなら戻りたい、、、 




    黎明期の上高地のことを知ってみると、
    そこには厳しい自然の掟があり、
    人といえども神なくしては存在し得ない、祷りそのものの存在、、、 そんな気がします。





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    黎明期、、、


    人間が関わりを持ち始めるその時は、、、
    いつの時代でも、、、 世界のどこの場所でも、、、 「パンドラの箱」 を 開けてしまう時、、、


    もう二度とそこに戻ることのできない、、、 未来の扉を開けてしまう時、、、


    多くの場合、、、
    それは、、、 神に背く時、、、 何かを見失う時、、、 見えなくなる時、、、 




    
    播隆上人の 「槍ヶ岳開山」・・・ 
    新田次郎さんのこの本を読んだ時から、このことが私の脳裏を離れません。


    その、人としての素晴らしさ、、、 それと同じ比重で、、、
    先駆者の犯す過ちのようなもの、、、 「オリのようなもの」 が 拭い去れないのです。





    それは、上高地や槍ヶ岳のことではなく、、、 
播隆上人のことでもなく、、、

    人、、 私、、  すべて、、、



    人って、、、 私って、、、  どうしてそうなってしまうのだろう、、、



    いつからか、、、 

    この疑問が、、、 

    私の物の考え方、、、 感じ方のすべての源になってしまっていました。








    
「パンドラの箱」 を 開ける、、、

    それは過ちではないのだろうか、、、

    開けられたその箱を疑いもなく、、、 興味津々 覗き込む、、、

    これは過ちではないのだろうか、、、




    何を読んでも、 何を聴いても、 胸の奥に響かない、、、

    という 、 私のそれは、、、



    人間の、、、 存在そのもの、、、 を 信頼できない、、、

    この一点の疑問が、、、 どんなにしても拭い去れない、、、    そこにありました。






    
    
      森の妖精 ヤマシャクヤク。




    
それでもそれでも、、、 上高地が好き^^


    まだ残っているものが好き^^
    失われたものはいくらでも想像することができる^^


    明神岳の岩肌は永遠^^
    あの山々はビクともしない^^  大いなる神秘を秘めて永遠^^ 


    人間がどうであっても、、、 時代がどうであっても、、、 永遠^^





    私は私の目で見えるものを見る。。。  そこには何でもあるんだモン。。。
 







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