2009/08/03
* ・・・鹿島のおばば。 -5- 民宿 「鹿島山荘」 開業・・・
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7月最後の日、、
その日もやっぱり雨でした。
朝は気持ちのいい夏の陽射し、、
しばらく奥深くまで入っていなかったから、
森の大気を吸い込みたくなって出かけました。
ここまでは車で一時間弱、、
標高1300Mほど、、
目の前には黒々とした北アルプスの山々、、、
空気はひんやりと肌にやさしく、川の水は冷たくて手が切れそう。
このさわやかさ・・ を・・・
このまま・・・
都会に住む方々に届けてあげられたら・・・ そう思ったら涙が出てきました。
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在りし日の・・ 狩野きく能さん・・ 著書より。
「ようし。 オラとこも民宿ってのやってみるかー。」
そんな話になったのは、昭和二年、きく能さん37才の時のことでした。
--------------------------以下・・ 本文より抜粋 ---
かつて南極観測隊長をし、登山家であり、生態学者でもある、
京都大学名誉教授今西錦司氏が、まだ京大二年に在学中の昭和二年三月、
同僚三人と鹿島山麓へスキーに来て泊まったのが狩野さん宅であった。
白馬山麓細野(現八方)の民宿の話が今西氏の口から出て、
きく能さんはふとその気になった。
もちろん治喜衛さんは大賛成。
その年正式に人を泊める商売に踏み切った。
商売とはいっても山家育ちのきく能さんの気性からいって、
儲けが主体のアキナイでなかったことはもちろんだ。
依然として登山者が主体の奉仕に徹底する民宿だった。
そして家族的な雰囲気が常にただよっていたから、
登山者は気持ちをほぐして利用することができた。
翌三年、「鹿島山荘」 と名を改めて、一人前の民宿にデビューした。
--------------------------ここまで ---
「民宿」ってこんな風に、、
気持ちが高まって自然に生まれてきたものだったんですね。
きく能さん37才、、
登山者との心の交流も数を重ねてピークに達していた。
そして、いろいろなことがよく解る年齢に差しかかっていた。
きく能さんは、民宿を営むために生まれてきたような人だったんですね。
-つづく-
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