2009/08/01

* ・・・鹿島のおばば。 -4- 後立山連峰・・・


    

    在りし日の・・ 狩野きく能さん・・  著書より。



    「後立山連峰」、、、


    越中(富山)の立山から見て、後にあるから付けられた名称。


    こちらの長野県側から見たら、ちょっと屈辱的な印象だったらしく、
    「針の木小屋」を開いた百瀬慎太郎さんは、
    その名前を嫌って、「鹿島連峰」と言っていたとか、、、


    この
百瀬慎太郎さん・・・ 

    この方がまた本当にすてきな方で、、、
    あらあら、、 脱線しちゃいそう^^ このお話はまたいつか、、、




    
「後立山連峰」、、、 
    
このシリーズの -1- でお話しましたので詳しくはそちらで、、、


    
この「後立山連峰」は、
    北アルプスの穂高連峰とともに縦走コースとしては人気の的となっていて、
    それだけに遭難発生率も高いコース。


    松本清張・・・ 「遭難
(黒い画集)
    井上靖・・・・・ 「あしたくる人」
    森村誠一・・・ 「日本アルプス殺人事件」 など、、、    


    鹿島槍ヶ岳を舞台にした小説もいくつか書かれているそうです。





   
 ----------------------- 以下・・ 本文のまま---      


    夏山はともかく、冬山ともなれば積雪量も多く、
    雪屁
(せっぴ)もいたるところに張り出して、
    ベテランでさえしばしば不測の事故に巻き込まれるがこの山の恐るべき正体である。


    きく能さんは、このような情況を多年の勘でいやというほど知っているだけに、
    登山者の安否に気を使うことしきりであった。


    自分では山へは登らないが、
    帰りの登山者が休息のため立ち寄ってイロリを囲んで語る仲間に加わり、
    いろいろの状況を聞きながら心の中へきざみつける。


    そして後日の登山者への参考知識として受け継ぐ役割を果たしていた。
    これが大きく役立って危機を脱して無事下山した登山者も数限りなくあった。


    「おばばのおかげで命拾いをした。」
    「あの話を聞いていなければ、オレの命はなかったかもしれぬ。 おばばは命の恩人だ。」


    こんな礼手紙を一年に何本も受けとったものである。


    誰いうとなく ”鹿島のおばば” という尊称が広まって、
    その名は山男たちのあこがれの女傑とまで慕われるようになっていた。
    
    

                                       -つづく-






                         
                                       ページトップへ







0 件のコメント:

コメントを投稿